なんとなく日誌

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魔女「マリ・ド・サンス」の正体を追う

マリ・ド・サンスとはなにものか

 「魔女マリ・ダスピルクエット」から始まった、なぜか有名な魔女の正体を追うシリーズ。
 ネット上にあるマリ・ド・サンス解説の元になっているのはYahoo知恵袋の回答だ。まとめサイトでは「ただの殺人鬼」「魔女行為はしていない」とされているが誤りで、正しくはフランスで起こった悪魔憑き事件で裁かれた人物。殺人罪で捕まったわけではない。マリ・ド・サンスはこれまで調べた魔女の中でも特に誤った情報が広まっている。詳しくみていこう。
(注:素人による調査であり、不十分である可能性が高いです。特にスペイン語ラテン語から自動翻訳を使って解釈しているため、間違いがあるかもしれません。情報提供をお待ちしています)
noroue4.hatenablog.com

歴史上の『マリ・ド・サンス』

 マリ・ド・サンス(Marie de Sains)は1613年、フランスのリール(Lille)地方の魔女裁判で裁かれた修道女だ。(表記ゆれ:Maria de Sains、Mariam de Sains、Marie de Sans)
 名前に『de』がつくことから貴族階級と思われ、修道女であることからキリスト教関係の知識にも通じていたらしい。田舎の庶民であったイザボー・シェイネとは違い、その自白の中で多くの悪魔の名前を語っている。おそらく、マリ・ド・サンスの初出はラテン語書籍『Vera ac memorabilis historia de tribus energumenis in partibus Belgij』(1623)(※1)だろうか?
 (全部読むのはきついので以下の情報は他の本やネット情報によります)

リールの悪魔憑き

 17世紀フランスの修道院では、いくつもの悪魔憑き事件があった。

 リール(Lille)の悪魔憑きはそのひとつで、『エクサン=プロヴァンスの悪魔憑き』の余波で起こった比較的小規模の事件だ。マリ・ド・サンス(Marie de Sains)シモーヌ・ドーレ(simone dourlet)が3人の修道女に魔法をかけ、悪魔憑きにしたという。彼女はエクサン=プロヴァンスの悪魔憑きの犯人とされるゴーフリディ(Gaufridy)神父の呪文を使ったと自白している。(※2)

マリ・ド・サンスの自白(※2)

 1年の投獄のすえ、マリ・ド・サンスは魔女であることを含め、さまざまな罪状を認めたようだ。
・自身の血で悪魔との契約書にサインしたこと
・多くのサバトに参加したこと
・多くの子供を殺し、悪魔たちに捧げたこと
・ゴーフリディ神父の呪文を使ったこと
などだ。

 修道院で暮らしながらサバトに参加したり多くの子供を殺すなど不可能であり、ほぼでっち上げの罪状だろう。

悪魔を讃える歌

 彼女は、サバトで次のような悪魔を讃える歌を歌っていたらしい。(※2)

Lucifer, Belzebut, Leviatán, miserere nobis. Belzebut, príncipe de los tronos, Rosier, príncipe de las dominaciones, Cuadrado, príncipe de las potestades, Belial, príncipe de las virtudes, Perrier príncipe de los principados, Olivier, príncipe de los arcángeles, Junier, príncipe de los ángeles, Sarcueil, Cierraboca, piedradefuego, Carnebuey, Terrero, Cuchillero, Candelero, Bahemot, Oilette, Belfegor, Sabatán, Garandier, Doler, Piedrafuerte, Axafat, Frisier, Cacos, Lucesme ora pro nobis.

 「ルシファーよ、ベルゼブブよ、リバイアサンよ、その他もろもろの悪魔よ、われらをあわれみたまえ(miserere nobis)、われらのためにいのりたまえ(ora pro nobis)」というような内容だ。たぶんこれはロレトの連祷(Litaniae Lauretanae)と呼ばれる聖歌の、神やマリアを悪魔に置き換えた替え歌っぽい。
 原著(※1)ではこんな感じにまとめて表記されている。
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日本のweb上における『マリ・ド・サンス』

 元となったYahoo知恵袋の回答によると

1613年フランス、手ずから何人もの子供を殺し、人をかまどになげいれたり獣に食わせたり皮をはぎとった、など マリ・ド・サンス

となっている。少なくとも1613年、何人もの子供を殺した(と自白した)という記述は正しそうだ。

 だが、ここから転載したと思われる他のページでは「ただの異常な殺人者」「魔女としての行為はしていないらしい」などと殺人をメインに取り上げられることが多く、かなり異なったニュアンスに変化している。マリ・ド・サンスは殺人犯として捕まったのではなく、あくまで悪魔憑き事件で投獄された人物で、(でっち上げだとは思うが)サバトへの参加や魔女行為も認めている。

日本の商業作品における『マリ・ド・サンス』

 日本の商業作品で『マリ・ド・サンス』はほぼ見つからなかった。
 いちおう、一年未満の短命で終わったソシャゲ『メモリア・ナイツ』(2015/8/19~2016/5?)に登場している。
 いまのところマリ・ド・サンスの名前はかなりマイナーらしい。

結論

 マリ・ド・サンス(Marie de Sains)は1613年、フランスのリール(Lille)地方の魔女裁判で裁かれた修道女で、文献としての初出はおそらく『Vera ac memorabilis historia de tribus energumenis in partibus Belgij』(1623)だ。Web上の解説では「ただの殺人鬼」などとされているが誤りで、彼女が捕まったのは悪魔憑きの事件による。

参考文献

書籍

※1. Jean Le Normant(1623)『Vera ac memorabilis historia de tribus energumenis in partibus Belgij』
※2. Simon Pieters(2019)『Diabolus』